伊藤沙莉 主演映画『タイトル、拒絶』から感じたこと

伊藤沙莉 主演『タイトル、拒絶』

伊藤沙莉主演!山田佳奈監督 「タイトル、拒絶」 予告編 11/13より全国順次公開!!!

『タイトル、拒絶』はセックス・ワーカーの女たちによる苦しく、そしてどこか現実感の薄れた日常を追った映画。主演は伊藤沙莉が務めた。彼女が「誰にも渡したくなかった」と意気込んで演じた主人公・カノウは、デリヘルの体験入店に来たものの、実際に仕事現場であるホテルに来たところで怖気づいて逃げ出した女だ。その後、デリヘルの裏方として就職したカノウは、上司である山下(般若)や様々なセックス・ワーカーたちとの奇妙な関係性の中で、傍観者として日常を過ごしていく。

求められた役割を演じる人生~タヌキとウサギ

カノウは独白する。「カチカチ山の劇を演じる時に、誰もが輝くウサギになりたいと言った。自分はタヌキになりたかった。」すでに助演女優として活躍している伊藤沙莉の生き方とも合致する。

そして男からチヤホヤされるNo.1風俗嬢・マヒル(恒松祐里)のことを、誰もが憧れるウサギだと考えるカノウ。しかし全ては社会に求められる役を演じているに過ぎない。女性は美しくないといけないのか。男は男らしくないといけないのか。

デリヘル店の見習い・良太(田中俊介)は、関係を持った風俗嬢・キョウコ(森田想)から熱烈なアプローチを受けるも、冷たい言葉を投げかけ拒絶する。強い男を演じる良太へ「自分のことを作る必要はない。素直になっていいんだよ」とキョウコが語り掛けるシーンは、本作のテーマを明確にする。そんな言葉を投げかけられ涙を流す良太は、その後自分が演じてきた「男らしさ」を守るために、キョウコに暴力をふるうのである。

セックスワーカーたちと過ごす中でカノウは、彼女たちはウサギではなくアンドロイドだと感じる。他者に求められた役割を演じる、感受性の壊れてしまった悲しい人型だ。「だけどそれは風俗嬢たちの物語で、自分には関係ない」と言い切れる人は、どれだけいるのだろう。

火のつかないライター

No.1風俗嬢・マヒルは風俗嬢ではない妹とのやり取りの中で、火のつかないライターを使っていたずらを仕掛ける。その後も重要な場面で度々登場する印象深い舞台装置である。いわゆる夜の世界の外の人間である妹が、火のつくライターを持っていることからも、対比の構造になっていることがわかる。

モデルのような美人が風俗店に勤務し始め、マヒロがNo.1風俗嬢でなくなったタイミングから、「役目を果たせない」火のつかないライターが登場する。彼女の「東京なんて燃えてしまえばいい」という空虚な願望とともに、どこにも行けないクソみたいな現実を象徴する。

マヒルは悲しい時もつらい時も笑うことでしか感情を示せない女である。マヒルが笑うシーンは、同時に泣いているようにも見える。名演である。No.1風俗嬢という役を演じられなくなった女の心中は。

タイトル、拒絶

『タイトル、拒絶』を英訳するなら、公式サイトURLの通り”Life untitled(タイトルのない人生)”だろう。誰に臨まれようと、決められたタイトル通りの役なんて演じる必要はない。ただ人生は進む。その終わりの時に、自分の人生の在り方が決まる。決してタイトルを付けて、それに沿って演じていくものではない。

彼女たちが破滅的な人生の中で、それでも前に進んでいくように。決められた役を拒絶し、未開の地を切り開くような強さを表す題名である。「キャラクターを演じる」ことで「人としての役割を演じる」ことを拒否した俳優陣の名演に賛辞を贈りたい。

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