『ドント・ルック・アップ』を考察
彗星が地球に落ちてくる!でもみんなが一丸となって立ち向かえば、この地球の危機を乗り越えられる!そんな『アルマゲドン』的物語をひっくり返し、現代を皮肉ったブラック・コメディ。それが『ドント・ルック・アップ』だ。
彗星の発見までのスピード感は、大統領に会うために待たされるシーンで失速する。そのテンポダウンにより、視聴者はミンディ博士(レオナルド・ディカプリオ)、ケイト(ジェニファー・ローレンス)らに募るイライラを強制的に共有させられる。その後もオルレアン大統領(メリル・ストリープ)の失策は暴走し続け、最終的に地球は彗星によって破壊される。
この映画は何を皮肉っているのか
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それではこの映画は政治家を皮肉る映画なのだろうか。トランプ大統領を下敷きにしたであろうオルレアン大統領が、まともな行動を選択できていれば、確かに結末は違っていたかもしれない。トランプ大統領のように国のトップがビジネスマンであるということのリスクは、ビシビシ伝わってくる。
だが、本作で皮肉られているのは、そういったものも含めたアメリカ全体だろう。ばかばかしいシーンはたくさんあった。大統領の言葉を信じ「空を見ない」ドントルックアップ派や、国民が喜ぶからと彗星の軌道をそらすロケットに乗り込むドラスク大佐(本当は無人で操作可能)。彗星の落下により地球が滅びるというニュースを楽しく伝えるワイドショー。さながら『誇張しすぎたアメリカ』である。
現実に置き換えれば「Qアノン(※)」という陰謀論の流行や、日本で「コロナは風邪」というメッセージを発信している人々を思い起こさせる。(思い返せばトランプ大統領はコロナウイルスに対して、やたら強気だった)
隕石衝突が近づいても保守系のニュース「Patriot(=愛国者)」だけは決して隕石の話をしないなど、いわゆる保守的な思想の人々(右派)に対する皮肉が効いた映画だった。ではリベラル(左派)と呼ばれる革新志向の人々は、映画の中でどのように描かれていたか。
保守もリベラル同様に皮肉られている
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本作では「ドントルックアップ派」だけでなく、左派のリベラル勢力である「ジャストルックアップ派」も皮肉られていたように思う。その最たるシーンこそ、アリアナ・グランデ演じるライリー・ビーナのコンサートのシーンだろう。歌は地球を救わなかった。
ミンディ博士がセクシーな科学者と祭り上げられ、テレビ・スターとなっていったことは、コロナ禍で様々な研究者たちがお茶の間の顔となっていったことを思い出させる。そして地球の危機にも関わらず浮気である。一見正しそうに見える「ジャストルックアップ派」も地球を救うことはできなかったのだ。
ちなみにアリアナ・グランデは過去にラッパーであるマック・ミラーと2年弱付き合っていた。今回の役柄は「自虐的」なのである。そう、本作のテーマは「皮肉」というよりは「自虐」だ。監督のアダム・マッケイは、「Qアノンの正体」など現代のアメリカに迫るドキュメンタリータッチの作品も製作しているアメリカ人。コメディの狭間でそういった作品を制作してきたからこそ、この面白いのにどこか笑えない壮大な自虐映画を作り上げられたのだ。
この映画が伝えている最大の敵は「分断」「冷笑主義」
保守もリベラルもそれぞれが真逆の方を向いて行動し、結果として地球は滅んだ。『ドント・ルック・アップ』においては、国民の「分断」こそが地球を滅ぼしたといえるだろう。自分の対抗意見に耳を貸さず、視野が狭まっている状態こそ、権力者は民衆を簡単に誘導する。
ケイトがワイドショーで地球が滅びることを訴えたとき、すぐにネットミーム化(おもしろ画像化)されたシーン。あれこそまさに現代が抱える病をわかりやすく示したシーンだ。インターネット空間では、真剣な訴えは時に「おもちゃ」となってしまう。
下敷きになっているのは、国連で世界に環境問題を訴えたグレタ・トゥーンベリだろう。金と経済成長を求め環境を破壊している大人たちに対し、「How dare you!(よくもそんなことができるな!)」と強い言葉で訴えかけた彼女は、すぐにネット空間でミーム化された。
「冷笑主義」「冷笑系」ともいわれるこのインターネットの反応は、SNS上の様々な場面で目撃される。真剣な訴えをおもちゃにし、ネタにし、まともに取り合わない。確かにインターネットにはフェイクが多く、流れてきた情報をそのまま信じるのでは問題がある。しかし一歩どころか100mほど離れて、あらゆる情報をおもちゃにしてしまう現代のインターネット・カルチャーでは、頭の上に隕石が落ちてくることを食い止められないのである。
グレタ・トゥーンベリにしたって、訴えかけていることは、「このままいけば地球が滅ぶ、だから何とかしないといけない」と至極まっとうなことを言っているだけである。この「環境問題」を「彗星の落下」に置き換えれば、まさに劇中でケイトがワイドショーで危機を訴えたシーンと重なってくるだろう。
インターネットの反応に対して、一般にZ世代と呼ばれている今の10代~20代前半の若者たちは、社会問題や環境問題に強い関心を持っている。彼ら/彼女らにとってグレタ・トゥーンベリはアイコン的存在となっており、ユール(ティモシー・シャラメ)ら若者にとって尊敬の対象となっていた劇中のケイトに重なる。「右派/左派」の分断だけでなく、「ネット/現実」や「Z世代/上の世代の大人たち」「資本主義の上位1%/下位99%」という様々な分断が織り込まれていたことが分かる。
この映画がフィクションであるうちなら、きっと間に合う
本作のラストシーンでは、突然SF的なコールドスリープのカプセルが登場し、大統領が未知なる惑星で謎の生物に食べられ、荒れ地となったアメリカでジェイソン補佐官ががれきの中から這い出てくる。まさにSF的なお約束の連続である。あのきれいな生き物に大統領は食べられるんだろうな…と予想できた人も多いのではないだろうか。
映画によくある展開を詰め込むことで、アダム・マッケイ監督は最後に、この映画がフィクションであることを打ち出した。こう言い換えられるかもしれない。「この映画はフィクションです。現実になる前に何とかしましょう」と。
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本作のキャッチコピーは「BASED ON TRULY POSSIBLE EVENTS(本当に起こる可能性のある出来事に基づいた物語)」、日本版では「実話に基づくかもしれない物語」と書かれている。
コメディ映画にもかかわらず、この映画の中で起こるばかばかしい出来事を僕らが笑い飛ばせないのは、現実にもコメディ並みに狂っていることが起こっているからだろう。そんな世の中が続いた結果、オルレアン大統領の支持者のように、自分の頭の上に彗星が落ちてきていることが目に見えて初めて「だまされた…ちくしょう!」と思うことになるかもしれない。そんな事態は「分断」を回避することで避けられる。人種を超え、それまでの経緯を超えた最後の「祈り」のシーンこそ、この映画が打ち出したメッセージだろう。
僕らはもう少し、世の中で起こる出来事に真剣にならないといけないかもしれない。フランスの哲学者・サルトルは言った。「民主主義とは、生きることそのものだ」と。政治疲れなんて言っている場合じゃない。この映画を笑っていられるうちに、生きることを取り戻せ。僕にはそういわれているように感じた。
次に見てほしい映画①「26世紀青年」
『ドント・ルック・アップ』と近しいテーマの映画として『26世紀青年』を紹介させてもらいたい。「コールドスリープで目が覚めた500年後の未来、アメリカ人は馬鹿になっていた。」という設定のブラック・コメディ。コストコが街のように巨大化していたり、スタバがいかがわしいサービスを始めていたり、かなりのバカバカしさだ。しかし最後にこの映画が「真面目な危機感」を基に作られたのだと明かされ、ハッとさせられる展開になっている。
アダム・マッケイ監督は『ドント・ルック・アップ』制作にあたり、この『26世紀青年』が「北極星のような道しるべ」だったと語っている。参考にされた作品なのだろう。本作には(異常にいかつい)黒人大統領が登場し、しばしば「オバマ大統領を予言した!?」などというキャッチコピーがつけられている。『ドント・ルック・アップ』のオルレアン大統領は、未だに女性大統領がアメリカに誕生していないことに注目して作られた、本作のオマージュと言えるかもしれない。
次に見てほしい映画②「シン・ゴジラ」
日本版『ドント・ルック・アップ』ともいうべき作品で、彗星の代わりにゴジラが日本を襲い、それに対する「政府の対応」に焦点が当てられている。ゴジラ映画としても傑作だが、様々な意思決定がスピーディーにたらいまわしにされていくのが日本らしくて面白い。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督作品。
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