インド映画『響け!情熱のムリダンガム』から見えるカースト制度

インド映画『響け!情熱のムリダンガム』の見どころを解説。キーワードは『音楽』『カースト制度』『女性』。ネタバレありのため注意。

『響け!情熱のムリダンガム』のあらすじ

映画『響け!情熱のムリダンガム』予告編
ピーター・ジョンソンはムリダンガムという打楽器製作を行う職人の息子。タミル映画界の大スターであるヴィジャイのファンクラブの一員として、職に就くわけでも学問に勤しむでもなく、日々を過ごしていた。そんな彼が、看護師のサラとのいざこざから紆余曲折あり、ムリダンガム奏者の人間国宝であるヴェンブ・アイヤルの演奏を目撃。強い衝撃を受ける。彼は世界一のムリダンガム奏者になろうと、何とかヴェンブへと弟子入りしようとするが、そこに大きな壁が立ちはだかる…。

あらすじにしてしまうと、なんともシンプルな物語である。しかし本作の深淵には、作中で明確な言語化が避けられたカースト制度という大きな壁が立ちはだかっている。本作の見どころや、作中で描かれたインドで楽器製作者たちが直面している悲劇について書いていきたい。

見どころ①音楽は名匠 A.R.ラフマーン

いわばインド版『セッション』ともいうべき、音楽家師弟モノの本作。インド伝統音楽で使用される打楽器ムリダンガムを中心に据えたこの物語を音楽で彩るのが、『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー作曲賞やオスカー賞を受賞したことで知られるA.R.ラフマーン氏。日本にインド映画ブームを引き起こした『ムトゥ 踊るマハラジャ』でも劇伴を制作した彼が参加し、また彼の甥であり同様に映画音楽の作曲を行っているG.V.プラカーシュ・クマールが主演を務めている。だからこそ、映像と音楽の中に宿る圧倒的な説得力!本作に登場するのは日本人からすればなんとも複雑で高速なビートだが、しかしそれでも思わず体を揺らしてしまう名演と素晴らしい音楽が見所である。

主人公の友人でありライバルでもあるハーバード卒のナンドゥを演じたSumesh S. Narayananも、音楽家としての活動をinstagramに公開している。このように本作には多種多様な楽器を実際に演奏する方々が多数出演しているため、音楽映画として高いクオリティを実現している

見どころ②カースト制度を乗り越える物語

主人公の名前はピーター・ジョンソン。彼はなぜ西洋人のような名前がついているのか。それは彼が(おそらく)代々カースト制度の外にいる存在として、差別を受けてきたダリッドの一人であり、キリスト教へと改宗した際に改名したからだろう。現代にも深く根を下ろしている、アウトカーストと呼ばれるカースト外の方々への差別。彼ら/彼女らはカーストから逃れるため、キリスト教や仏教など、ヒンドゥー教以外の宗教へ改宗することが多い。そのような背景を踏まえれば、改宗キリスト教徒として西洋名を名乗ること自体が、彼の出自を暗に示しており、動物の皮を扱うというその職業もあいまって彼は作中で差別されるのである。

(なお元来キリスト教徒である方々も一定数いらっしゃることが推察されるため、西洋名の方が必ずダリットであるわけではないという点についてはご留意いただきたい。あくまで本作においてはその他の点も丁寧に描かれた上での解釈だ。)

本作において、ムリダンガムの製作方法が細かく登場するのだが、その中で「山羊の皮、牛の皮、水牛の皮」の三つを張るといった内容が紹介される。動物の皮を扱う職業は生物の死に近いため、差別の対象となってきた歴史が(暗黙の内に)示される。(特に牛は、シヴァ神やクリシュナ神の信仰と結び付いており、インドでは特別な動物だ。)

一方で師匠であるヴェンブ・アイヤルは、ムリダンガムを用いて宗教的儀礼を行う立場にあり、カースト制度最上位のバラモンに位置する人物だと推定される(研究者の池亀彩氏によれば、アイヤルという苗字から、シヴァ派のバラモンであることが推察できるという)。

つまりこの物語において、一つのクライマックスは、神聖なるシヴァの瞳をヴェンブ・アイヤルがピーターへと渡すシーン。そこにカーストを超えた師弟の信頼関係の構築が見られる。しかし、この物語はそこでは終わらない。

見どころ③女性の活躍

『響け!情熱のムリダンガム』において、女性の登場するシーンは多くはない。しかし物語の起点を作った看護師・サラを始めとして、ピーターにチャンスを与えたマニの妹(TVディレクター)や、夫に強い言葉を投げかけたヴェンブ・アイヤル夫人など、かなり重要な役回りを担っているように感じられる。

男性たちが「伝統を守り」「師匠の下で名を成すことに固執し」「何をすればいいか決められずにプラプラしている」なかで、女性たちが「伝統よりも重要なことがあることを示唆し」「師匠を変えることを進言し」「スープを売り、看護師となることで生活の糧を得ている」からである。非常に対照的な役割を与えられているのだが、特に本作のラストに至るまでの過程の中で、ヴェンブ・アイヤル夫人と看護師・サラの「発破」は重要な起点を生み出した

サラがどのような人物か考えてみよう。看護師であり、血を扱う職業であるためカーストは低く明確に差別をされている可能性が高い。また、初登場のシーンでは「家賃は払いましたよ」とおびえていたことから賃金が低く、生活が困窮している可能性もある。そういった差別的な待遇を受けている現状があるからこそ、看護師という職業が尊重されるドイツへの移住を考え、ドイツ語を勉強している。

そのような彼女が、同じ差別を受けながら、目的を持たずに生活しているピーターを目にしたときに、自分と重ね合わさずにはいられるだろうか。ピーターを心配し、励ます目的で、あえて突き放すという、本作の起点となった言葉へとつながっていったのである。その結果、ピーターはヴェンブ・アイヤルと出会うのだ。

おわりに

本作は音楽の素晴らしさとカースト制度の中におけるダリッドの方々の辛さが、前者は明示的に、後者は暗示的に描かれている。特に街中では目立ちにくい差別も、郊外や田舎に行くと明確になるようで、プラスチック製のチャイのカップが出されるシーンなど、かなり辛い。

楽器の製作者でありながら、カースト的にその楽器の演奏が難しい(古典音楽であり宗教儀礼で使う楽器であるがゆえに、カースト制度の縛りを受ける)という悲劇。それを乗り越えられるのは、インド中の力を結集した、伝統の破壊と革新であった。スクリーンの外の観客の心も揺らしたであろうラストシーンの名演。本作を日本に配給してくださった、荒川区の南インド料理店・なんどりに、勝手ながら感謝の気持ちを送りたい。

また関西地域の初上映を実現してくださり、かつ詳細な解説までしていただいた京都大学環インド洋研究センターの方々にも重ねて御礼申し上げたい。上映後の素晴らしい講演により、本記事の内容も大きな影響を受けている。今後もこのような一般の方向けの企画をされていかれるようなので、ご興味のある方は要フォロー。それでは。

コメント

タイトルとURLをコピーしました