主人公・鈴芽の名前について
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鈴芽のフルネームは岩戸鈴芽(いわとすずめ)だ。日本の神話には、アメノウズメという神が登場する。岩戸隠れ(天照大神がほら穴に隠れ世界が真っ暗闇になった事件)の際に、踊りまくって岩戸から天照大神を引っ張り出すことに成功したことで知られる女神だ。名字の岩戸+神の名前ウズメを組み合わせ、ウズメをスズメへと置き換えた名前なのだろう。
ところで本作において倒すべき相手は「ミミズ」である。「ミミズ」を食べる「スズメ」から、鈴芽と命名されたのかもしれない。
『魔女の宅急便』の影響を強く受けている
魔女も出てこないし、デリバリーもしないんですけど、でも『魔女の宅急便』の影響を強く受けている要素というものが、まだ言えない部分にかなりあります。
新海誠監督-インタビュー動画より
新海誠監督はインタビューで『すずめの戸締まり』がジブリ映画『魔女の宅急便』の影響を受けていると明言している。魔女も出てこず、デリバリーもしないと語っているが、どの点で影響を受けているのだろうか。
まず目に見えるオマージュとしては、鈴芽が乗ったオープンカーが故郷を目指し北上していくシーンではユーミンの「ルージュの伝言」がかけられる(魔女の宅急便の主題歌)。そして鈴芽が追いかけていたダイジン(猫)がしゃべらなくなる。
『魔女の宅急便』でも主人公・キキのスランプを知らせるきっかけになったのが、相棒である黒猫のジジがしゃべらなくなったことだった。また、出会った人が家に泊めてくれるという展開も、『魔女の宅急便』を思い出させる。
このように明確なオマージュを感じさせるシーンが描かれていた(ちなみに白猫だったダイジンはラストバトルで突然巨大な黒猫になるのだが、けば立った動物の姿は『トトロ』のネコバスを思い出させる)。
『魔女の宅急便』は社会に触れキキが成長する物語
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しかし新海誠監督の口ぶりからは『すずめの戸締まり』に単に魔女宅のオマージュが登場する以上の、並々ならぬ影響を受けている気配が感じられる。もう少し深く考えてみよう。
『魔女の宅急便』は、魔法使いとしてデビューしたキキが親元を離れ旅をし、実際の社会と触れ合いながら「子供から大人へと」成長していく物語である。
同様に『すずめの戸締まり』も代理で閉じ師となったすずめが、旅を通じて様々な人たちと触れ合う映画だ。思わず育ての親である環に言ってしまった暴言も、あとでフォローできるほどに成長する(ただし完全な大人になるわけではない、というところは『魔女の宅急便』とおんなじだ)。少女が社会の中で成長していく物語と考えるならば、本作は魔女宅に大きな影響を受けていると言えるだろう。
個人的には『魔女の宅急便』以上に『もののけ姫』の影響を強く感じたが…(特にミミズのデザインだったり、ミミズが明確な善悪の概念なく無作為に命を奪ってしまうところが、デイダラボッチ/シシ神を思い出させる)。
鈴芽が巡る場所の意味
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鈴芽が巡っていく場所にはそれぞれ意味がある。劇中ではダイジンに導かれることによって、開きかけた後ろ戸を閉じていった鈴芽だが、実はそれぞれ現実に起こった災害とリンクしている。
鈴芽の経路を過去の現実の災害と共に振り返ってみる。
- フェリーに乗り愛媛へ(2018年 西日本豪雨)
- 明石海峡大橋を渡り神戸へ(1995 阪神淡路大震災)
- 新幹線で東京へ(1923年 関東大震災)
- 扉を探しに宮城県気仙沼市へ(2011年 東日本大震災)
愛媛では、海部千果との会話で「何年か前に土砂崩れが起きて捨てられた集落がある」と話していた。『すずめの戸締まり』は2022年を描いた物語であるため、4年前の西日本豪雨により起こった土砂崩れだと推測される。
各所で土砂崩れが起き、家屋が巻き込まれたところもあります。また、山間部では集落に繋がる道が崩れ、孤立状態になっているところもあります。土砂をのけて通行できるようになっても、傾いた家屋の下を通り抜けないといけない場所もあります。[一部略]更に、各所で崩れた山の中には、八幡浜が誇る柑橘の園地があります。定住支援員の活動中、実際に近くから眺めた各地の園地も、土砂に潰されました。綺麗に手を加えられ、青々とした葉をたたえていた畑が、今はむき出しの土に覆われています。
鈴芽がフェリーで降り立った八幡浜市が運営するサイトに、災害当時に公開された記事からの引用文。当時の土砂災害の影響の大きさが分かる。言葉が出てこなくなるほど、痛ましい文章。
『彗星の落下』ではなく『現実の震災』が描かれた理由
その後、鈴芽は大震災のあった場所を三か所、西から巡っていく。道の駅やスナックも含め、なぜここまでリアルに日本の風景を描写し、『君の名は。』で描いたような彗星の落下ではなく、現実の震災が描かれたのか。
新海監督は次のように語っている。「今描かないと10代や20代の観客と経験を共有できなくなる」と。東日本大震災をリアルタイムで経験していない世代にも、震災の記憶を伝え、未来に繋げていく。そういった明確な意図があり、『すずめの戸締まり』は作られたのだ。
現在Amazon Prime Video等で『すずめの戸締まり』の冒頭12分が公開されているが、ちょうど折り返し地点に当たる6分のところで、鈴芽は靴のまま水の中に入っていく。小さな違和感を感じられた方も多いのではないだろうか。東日本大震災の際、浸水した街の中を靴のまま歩いた経験が、彼女の感覚を変えてしまった。日常を過ごしていても、いつ地震が起こるかわからないという感覚を常に抱いているのであれば、あの場面で靴は脱がないだろう。鈴芽の中で、震災は続いている。だからこそ「震災を終わらせる物語」が必要だった。
鈴芽の死生観や、海の見える景色に抱く感想、あの震災が彼女の考え方そのものを変え、なんでもない「日常」を奪った。それを端的に表す最初の伏線が、彼女にとって今が「非日常」であることを示す、靴のまま水に入るシーンだった。
『天気の子』が反転したような映画
個人的には前作『天気の子』が反転したような映画だと思った。ネタバレなしで伝えるのは難しいが、AmazonPrimeなどでみれるのでぜひ確認してみてほしい。
おわりに
最後に個人的な感想を。
ついに震災を真っ向から描くアニメが、これほど大きな配給の元で出てきたか、と思った。しかし舞台装置として、SNSや電子マネーが使われていたり、2022年を描くために現実の災害と時間経過を合わせたり、前々作『君の名は。』と違い、「現実を描くんだ」という制作陣の意気込みが感じられた(前作「天気の子」に出てきた新宿の風景や音も、アニメ史上No.1レベルでリアルだったが)。
「震災」をフィクションの出来事ではなく、現実の出来事として若い世代に伝えたいという想いが、『すずめの戸締まり』を作りあげていったのだろう。明るく見えていた鈴芽が抱える重いトラウマ。椅子とのアップテンポな東への旅を楽しんだからこそ、終盤の展開には驚かされた。
『君の名は。』『天気の子』と災害を描いてきた新海誠監督だが、もしかすると本作で災害をテーマとした映画は最後なのかもしれない。そう思えるような、熱量が伝わってくる映画だった。
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