スタジオジブリの新作『君たちはどう生きるか』が公開
2023年7月14日に宮崎駿監督による10年ぶりの新作映画『君たちはどう生きるか』が公開された。吉野源三郎が1937年に発表した小説「君たちはどう生きるか」をタイトルに取り入れ、強い影響を受けながらも、宮崎駿監督による完全オリジナル脚本として作り上げられた本作は、事前の情報公開がほとんどないまま公開されたことも話題になった。
非常に難解で、宮崎駿監督自身が「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」とまでいった本作について、公開翌日に見た筆者の感想や考えを、ここに書き留めておきたい。タイトル通り、ある種の「問いかけ」がある映画だと感じた。
問いかけ①神のような存在になれるとしたら、あなたはどうする?
映画『君たちはどう生きるか』における最大の選択、それは辛いことが待ち受ける自分の世界へ戻るという決断を眞人が下したことだろう。叔母には「あなたが嫌い」と言われ、学校にはなじめず、母親は死んでしまった。それでも眞人は叔母を連れて、現実に戻っていく。
得体のしれなったアオサギとも友達になれたのだから、現実世界で友達を作ることも出来るはずだ。ある種の希望を胸に、ファンタジーの中で完璧な世界を作るのではなく、現実世界をより良い方向へと変えていくために。これは長年ファンタジーなアニメを作ってきた宮崎駿監督が、現実世界に打ち出した大きなメッセージのようにも感じられる。
積み木のシーンはいくつかの事柄を示す。
素材が完璧であっても、それを操る創造主に悪意があっては、完璧な世界は作れない
眞人が世界の創造主を引き受けなかった理由に、自分の中に芽生えていた「悪意」がある。素材が完璧でも、それを組み立てる側に悪意があった場合は、世界は完璧にならないのだろう。この理屈を現実世界にあてはめるなら、この地球という素材そのものは、決してそれそのものが悪意に満ちているわけではない。にも関わらず、戦争や貧困は無くならない。そして現実世界には、この世のバランスを保つ創造主はいない。世界は一人一人の小さな行動の結果、毎日進んでいる。人々の間にある小さな「悪意」が、世界を良くない方向へと進めていってしまう。そんなことを考えた。
そもそも完璧な世界は存在しない
また、眞人が見てきた大叔父の作り上げた世界は、完ぺきとは言えなかった。奇妙な生態系、その中で増えすぎた特定の種族(インコ)や、飢えに苦しみ攻撃を仕掛けざるを得ない種族(ペリカン)、自分の力で生きていくことが出来ない存在や、登場しなかったものの圧倒的な存在感を見せた墓穴の中にいたであろう「死」のメタファー。彼が作り上げた世界は決して楽園とは言えず、むしろ悪意に満ちた地獄であったようにも思う。コミカルだが、どこか現実世界を寓話的に表したもののようにも感じられる(白い生き物・ワラワラが上の世界で人間になるということからも、ファンタジー世界と現実世界が繋がっていることが示唆される)。
世界は完璧にはならない、むしろ悪いことばっかりだ。でも、だからこそ目の前の現実を生きていくなら、少しでも良い方へ。
問いかけ②自分が死ぬと分かっていても、それでも戻って子供を産むか
もう一つの重要な決断、それはヒミ(眞人の母親)が、自分の運命を分かっていながら元の世界へ戻るという選択をしたことだろう。いつか自分は火に焼かれて死ぬ。そうわかっていても、目の前の少年をこの世に産むために自分の時間へと戻る。
パラレルワールドでも多元宇宙でもない、複数の時系列が重なった世界
このヒミの選択を感動的にしているポイントは、ヒミが戻った時間と眞人が戻った時間が地続きであることだ。恐らくヒミが自分の世界に戻らないという選択をしていたなら、タイムパラドックスが起こり、眞人は産まれなかったことになり、存在が消滅していただろう。
ヒミは眞人へ愛を伝えた。未来に自分が産むことになる子供へ。だからこそ、現実世界にいるばあやたちからも、若かりし日のヒミの失踪事件が語られたのだ。
象徴的に描かれた頭の傷・不安定でドロドロとした心を持つ少年
眞人の「悪意」の象徴として、あるいは母親の不存在を視覚的に表す装置として、眞人の右こめかみには自らが付けた傷と、その治療のために非対称となった髪型が描かれた。このアンバランスで不安定な主人公は、これまでの宮崎駿監督作品で描かれてきた真っすぐな少年像(未来少年コナンやラピュタのパズー)とは大きく異なるものだ。しかし、これこそがリアルな人間の姿、主人公の名の通りの真実の人の姿だろう。
宮崎駿監督は主人公についてこう語る。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった。」このように自分自身にも重ね、より現実的な少年像について触れてている。
そんな等身大の少年に旅をさせているのだから、いつも通りのジブリ映画が描いてきた爽快感は薄れる。一方で、彼の不安や「状況の理解できなさ」は観客へと伝わっていく。その不安と向き合い、前へ進む道を模索する中で、この現実的な少年が継母を「夏子母さん」と呼べた心理的成長。そして、現実世界に自分の身の置き所を見つけ出すまでの物語こそ、『君たちはどう生きるか』が描いたものと言えるだろう。
ジブリが作ってきたファンタジー世界から飛び出して
また眞人が少年時代の宮崎駿監督そのものの要素を含んだものであれば、やはり13個の積み木が象徴したあのファンタジー世界は、宮崎駿監督がこれまで作ってきたものを表していたのかもしれない。彼が監督した作品はアニメ映画が12本、テレビアニメが1本で、合計13本。創造主として自分の思うがままになる世界と、監督として自分のアイデアを形にする映画。つながってくる。
だとすれば、ファンタジー世界の創造主を引き継がなかった眞人の選択は、アニメの世界を飛び出して「君たちはどう生きていくんだ?」と世界に問いかけたことにもなるだろう。自分で決定すること、そして戦争には断として反対すること。そういったメッセージを世界に向けて放ったように感じられた。
おわりに
映画『君たちはどう生きるか』について、解釈の余地は多分に残されており、全てを解明することは困難だと思う。だが、本作のタイトルが問いかける「生き方」について主人公・眞人やその母・ヒミの「選択」が示す「例えば戦時中のようにどれだけ地獄のような世界でも、現実世界をより良くし、繋いでいくことを諦めない」という行動指針は伝わってくるのではないだろうか。きっとそれこそが、宮崎駿監督がファンタジーを通じて現実世界に届けたかったメッセージではないかと感じた。
日本アニメ映画界を代表する巨匠が伝えたのは、過ちを繰り返し続ける現実に対して抱いた、ある種の「愛と期待」だったのではないか。
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