『花束みたいな恋をした』
菅田将暉・有村架純主演の恋愛映画『花束みたいな恋をした』。予告のキャッチフレーズは「この冬、誰もが涙する最高純度のラブストーリー」。マジか。映画館で片方だけがメチャクチャ泣いてるカップルとか、どんよりしてる白デニムの男を目撃した者として、このフレーズはどうかと思う。カップルで間違って見に行ったらどう責任取るんだ。付き合って数年たったカップルと白デニムとショーシャンク好きなやつは入場禁止にしろ。
それにしてもたくさんの人名や固有名詞が登場する映画だった。だからこそ映画のストーリーに厚みが生まれ、本当に現実に起こったことのようにすら感じさせられた。サブカルチャーへ通じる2人の若者のすれ違いを描いた本作に登場した2つのキーアイテム、マーガレットとイヤホンに注目して、内容やタイトルの意味を解釈していく。
マーガレットと「花束みたいな恋」
本作のテーマを端的に示していると思われるのが、マーガレットに囲まれた自分たちの写真をみて、麦が絹に「この花なんて名前だっけ?」と尋ねるシーンである。絹は「マ…」と言いかけるが、「女の子に花の名前を教えられると、その花を見るたびに教えてくれた子を思い出すようになる」として、答えを教えなかった。
絹が教えてくれなかったおかげで花の名前が気になって、映画に数分間集中できなかったのは内緒だ。もうマーガレット見るたびにこの映画を思い出してしまうだろう。
固有名詞が相手を思い出させる
さて、本作のタイトル「花束みたいな恋をした」の花束とは、女の子に名前を教えられた花のように様々な固有名詞が思い出にひもづき、相手を思い出させることを指しているのではないだろうか。本作に登場するたくさんの固有名詞、今村夏子や押井守、木村屋のカレーパンにさわやかのハンバーグ。相手との間で交わした作家・映画・マンガや共有した食べ物・旅先など、これらが全て花の名前のように、相手のことを思い出させる存在になってしまう。たくさんの思い出を例えて「花束」としているのではないか。
別れた後にあふれ出す花束
ラストシーンで久々に再開した二人は「イヤホンでSMAPの「たいせつ」を聴いたな」「きのこ帝国が解散したこと、今村夏子が芥川賞を取ったこと、どう思ってるかな」と、過去に与えられた思い出が固有名詞と共にあふれ出してくる。花束みたいな恋をしたことで、別れた後も特定の固有名詞に出会うたびに相手のことを思い出すのだろう。地面に根を張っていない花束のような恋だったからこそ、瞬間的な華々しさがあり、同時にいつか枯れる運命にあった。しかしその美しさはいつまでも残り続ける。グーグル・ストリートビューに記録された二人の姿のように。
イヤホン(ワイヤレス)とヘッドホン、偽物と本物
「花束みたいな恋をした」はとあるカップルがイヤホンを片耳ずつはめて、音楽を聴くシーンから始まる。一つの音楽を分け合うという恋愛的な行為は、エンジニアに対して失礼だという主張から、カップルを注意しようとした主人公・山音麦と八谷絹はそれぞれ立ち上がり、久々の再会を果たす。
さて、本作にはイヤホンにまつわるいくつかのエピソードがある。麦と絹の出会いの場面では、お互いにイヤホンが絡まっていて、一つの共感へとつながった。そのシーンが伏線となり、お互いにプレゼントを交換する際には、ワイヤレスイヤホンを送り合うこととなる。
ワイヤレスイヤホンは分断の象徴
このワイヤレスイヤホンは、その高い防音性能をもって麦と絹のすれ違いの象徴となっていく。かつてはコードのあるイヤホンで同じ音楽を聴いていた二人が、しきりのないワンルームに居ながらワイヤレスイヤホンで別々の世界に閉じこもってしまう。お互いへの想いでもたらされたプレゼントが二人を引き裂くという、皮肉な展開である。
しかし同時に、別れた後も麦はイヤホンを愛用している。別れる前は二人を隔てる壁だったものが、別れた後には元彼女を思い出せる無線の繋がりになるという、面白みがある。
ヘッドホンは本物の象徴
ヘッドホンが登場したシーンを覚えているだろうか。麦と絹の告白シーンである。なんとかいい感じの雰囲気にしようとする二人へ、ファミレスで働くAwesome City ClubのPORINが自らのバンド活動を伝える。それぞれ片耳ずつイヤホンをはめて、あわや告白という流れを断ち切るように、突如プロのエンジニアが表れ1時間も音響の話をする。
この独りよがりなコミュニケーションを行ってきたプロのエンジニアが付けていたのが、ヘッドホンである。そしてこのエンジニアの主張は繰り返され、冒頭のシーンにおいて麦と絹はほとんど同じ言葉でカップルを注意しようとしてしまう。
この繰り返しにおけるヘッドホンとイヤホンの対比は、そのまま本物と偽物の対比と言ってもいいだろう。自分たちが数年前に聴いた言葉を、そのまま訳知り顔で繰り返しているだけなのだから。
主体的な言葉を持たない偽物
自分を文化的な存在と位置づけ、周りを見下すような姿勢だからこそ、絹と麦は独りよがりな説教をしようとしてしまう。しかし彼女/彼の言葉はかつて本物が語った言葉をそのまま話しているだけなのである。思えば本作において、多数の固有名詞が飛び交うものの、その中身について語る場面はほとんどない。麦と絹が自ら語る言葉を持たない偽物として、意識的に描かれているように感じる。
だからこそ絹の母が「人生は責任よ」と押し付けた言葉を、麦はそのまま「社会に出るって責任だ」と、人の言葉を攻撃的に後輩へとぶつけてしまう。
しかし本物とは何なのか。あのまま麦は自分の絵を描き続け、発信し続けていたら本物になれたのか。ファミレスで仕事をしている明らかに経済的に裕福ではないエンジニアのおじさんは、もしかすると就職せず絵を描き続けていた場合の麦の未来かもしれない。
おわりに
本作にはその他にもいくつかのテーマがある。
例えば仕事への向き合い方の違い。仕事において安定性を重視する麦と、自らの嗜好性を重視する絹のすれ違いの根本にあるものとして、意図的に双方の両親が描かれていた。新潟出身で仕送りを止められた麦と、都内に広告代理店勤務の両親を持ち、何かあったとしてもそれなりに裕福な実家に帰ればなんとかなる絹。二人にとって「現状維持」のニュアンスが全く異なっていたことが、不和を生み出していった。
またグーグル・ストリートビューを使った表現も素晴らしかった。ラストシーンにおいて、ストリートビューに掲載された二人の恋は、その高まりを残したままネット空間で保存され続けるだろう。そして二人の顔にかかっているモザイクの持つ匿名性は、まるで本作が現代の多くの若者の物語に置き換得得る、どこの誰にでも起こり得る出来事だと語っているようで。
多数の固有名詞や実在の場所、リアルな恋愛の終わりを描いたことで、本作は多くの若者が真に自分の物語として入り込める映画になっている。正直、ここまで共感できる恋愛映画は初めてだった。若者の心や現代人の生き方を見事に描いて見せた制作陣に賛辞を贈りたい。
二人の物語をご自宅で、映画版のセリフにいくつかの心理描写を加えた小説版。麦の絵を描いている朝野ペコさんの挿絵も入っている。
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本ページの情報は2021年7月時点のものです。
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