もしも全身麻痺になったら、あなたはどうする?美味しい料理を食べることも、テレビのチャンネルを変えることも、愛を囁くことも、死を選ぶことも出来ない。その肉体に閉じ込められたまま、どうやって人間性を保っていく?
『潜水服は蝶の夢を見る』はある日突然、目と耳と鼻と脳以外、全てを使えなくなってしまった男の実話だ。
あらすじ
全身マヒで本を書いた男の実話
植物状態の辛さを味わう映画
ジャン・ドーは植物状態に陥りながらも、本の出版によって人間性を獲得/再生していく。その経験を僕らが追体験するためには、全身マヒの辛さを少しでも味わわなければならない。そのためこの作品では、多くの場面で主観のコマ撮り(人間の視界を再現した映像)が使われている。
主演:マチュー・アマルリックが録音した独白に合わせて、その視線をリアルに再現したのは撮影監督:ヤヌス・カミンスキー。『シンドラーのリスト』以降のスピルバーグ作品の全てや、『プライベート・ライアン』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』など様々な映画を撮影してきたベテランで、彼なくしてこの映画は成り立たなかっただろう。
突如全身マヒになってしまった人の絶望を、独白と映像で再現していく映画で、正直見ていて辛い場面ばかりだ。でも、それで正しい映画なのだと思う。
単に静かなフランス映画ではない
監督はアメリカ人だけど、フランスで配給されたフランス映画であり、他の多くの作品と同様に静かな場面が多い。しかし、このジュリアン・シュナーベルという人は、フランス映画の静けさを上手く利用している。ほとんど音楽の無い病院の場面から、ジャン・ドーは蝶となって自分の思い出や想像力の世界へと飛び立っていく。
それらのシーンにおいては、軽快な音楽が使われ、映像の動きも増え、ジャン・ドーにとって自分の脳内世界がいかに愛おしく大切なものであったかが、身にしみて感じられる。観ている側としても、そこが唯一安心して見られるからだ。観客は自己をジャン・ドーに投影し、没入する。だから彼と共に想像の翅を広げ、彼の華やかな過去の生活へと共に飛んでいく。
この映画は単に静かなフランス映画ではなく、その様式を静/動の対比に利用した作品なのだ。
AI時代に再評価されるべき
『潜水服は蝶の夢を見る』は2007年の制作だが、AI技術が進歩し、人間とはなんであるかという問いが繰り返される現代において、再評価されるべき作品だ。人は耳、眼球、まぶた、鼻、そして脳だけになっても人なのだ。決して植物ではない。
救いの無い苦悩、孤独と夢想の日々。ノワルティエ(※)の苦しみを味わい、肉体に閉じ込め(ロックトイン)られながらも、その人間性の獲得を諦めなかった男と、女たちの話。想像力こそ、そして可能性を持ち続けることこそ人間なのだと思わせる。
この2018年にぜひ見てほしい一作だ。
※ノワルティエ…フランスの小説『モンテ・クリスト伯』の登場人物。全身マヒで、視線と瞬きだけでコミュニケーションを取る。ジャン・ドーはこの『モンテ・クリスト伯』を現代版に改変した作品を作ろうとしていた矢先に、脳溢血を起こしロックトイン・シンドロームを発症する。
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